第一話 おとうさんじゃない

介護のコラム

あれは、僕がまだ介護施設にて働き始めた時の出来事です。

僕が、勤める介護施設は、少し街から離れた所にありました。周りにはなにもなく、人々から見捨てられた様な所です。そこには、特別養護老人ホームという認知症の方々が生活する場所があります。

そこで、僕は介護職員として、働き始めて半年程になりました。まだ、慣れない事も多かったのですが、やっと1人だちをして夜勤を任される立場にまでなりました。夜勤の仕事というと、25名の利用者様の排泄介助をしたり、点呼をしたりなど、夜の生活をサポートする仕事になります。

僕は夜勤があまり好きではありませんでした。
それは、Kさんと言う利用者様が、僕を拒絶する事があるからです。日中はとても、穏やかなのですが、夜になると、決まって、僕が部屋の中に入るとお経を唱えます。

それに、なぜ僕が巡視の度に部屋を覗いているのかも、分かっているのが不思議でした。
その部屋は4人部屋になるのですが、巡視というものがあり、2時間に一回は利用者様の状態を見にいくのも、仕事の内に含まれます。

先程、なぜ、Kさんが、僕が覗いているのか分かるのか不思議だと言ったのは、Kさんは、目が全く見えないからです。なのに、僕が巡視のたびに、興奮しお経を唱えます。

そして、夜勤がいつもの様に始まります。夜の12時頃、いつもの様に巡視を行います。Kさんの部屋に入るのは、本当に嫌でした。でも、仕事なので、しなくてはいけません。

僕は恐る恐る部屋に入ります。また、Kさんは興奮し、お経を唱え始めました、、、

「摩訶般若波羅蜜多心経 般若波羅蜜多、、あっちに行けい あっちに行けい」Kさんは唱えます。

「大丈夫ですよ、、何も心配しないでください」
僕は、Kさんに落ち着いて貰える様に、言葉を掛けます。この日は、いつもよりも、声を張り上げて、お経を唱えていました。

そして、部屋からは何かいつもと違う違和感を感じられました。この部屋はなぜか、空気が重く、寒いと感じられるのです。

「落ち着いてください、、他の方は皆さん眠られています。起きてしまうので、もう少し静かにして下さい」僕はKさんに少し強めに言ってしまいました。他の隣に寝ている利用者様はもちろん、4人部屋なので、他の方が起きてしまう心配もありました。

「般若波羅蜜多 般若波羅蜜多、、、」ますます強く叫び続ける様になりました。
「一体、、どうなさったのですか?」僕はKさんに尋ねました。
「天井から私をみてくる」Kさんは答えます。

この時、一瞬、僕の背筋がゾッとしたのが感じられました。でも、どんな状況でも、僕たちの仕事は利用者様を落ち着いて頂く様にしないといけません。

「大丈夫ですよ、、きっと旦那さんが見守ってくれているんですよ」僕は優しく言葉を掛けます。
「目が、、目が、、天井に目が沢山ある」Kさんの目は見開きながら、天井を見つめて言います。

僕は一目散に逃げてしまいました。その時、僕自身も誰かに見られていると感じていました。それに、Kさんの目は見えるはずもありません。なのに、天井を見ていました。僕はこの時、震えが止まらない状況でした、、

他のフロアーの夜勤さんに応援を依頼しました。これまでの状況を事細かく説明しました。僕は半泣きの状態で話しました。
「お前、、考えすぎだろう」先輩は僕を鼻で笑う様に言い放ちました。
「お願いですから、一緒に来てください」僕は先輩にすがるようにお願いし、一緒にKさんの居る部屋に入っていきました。

さっきとは、違いKさんはぐっすりと寝ていました。「お前、寝てんじゃねぇか」笑いながら、先輩は僕を馬鹿にした様に言い放ちました。
でも、なぜか先程とは、また違う違和感が部屋にはありました。それは、先程まで開いていなかった、タンスが開いているからです。勿論、ここに居る利用者様は誰しも1人では動き回る事が出来ません。皆、介助が必要ですし、車椅子を利用しています。ましてや、タンスに手が届く訳がないのです。

僕は、タンスを触っていませんでした。なのに、タンスが開いていたのです。閉め忘れも疑いましたが、1番上のタンスはKさんの私物のペンなどしか入っていなので、服とかが入っているなら開く可能性はありますが、わざわざ開こうとは誰も思わないと思います。

とりあえず、僕は開いている1番上のタンスを閉め様とした時です。一枚の冊子が落ちてきました。よく見ると般若波羅蜜多田心経と表紙に書いてあります。僕の手は震えが止まりません。タンスの中に冊子を入れようとすると、一枚封筒が落ちてきました。

本来なら封筒の中身など、気にはしないのですが、この時は、中身が知りたくて知りたくて仕方がありませんでした。怖いもの見たさと言うものでしょうか、先輩も一緒に居る事にも安心をしていました。
中身を確認すると、一枚の札が入っていました。

「先輩、、見てください、札が入っていました」僕は先輩に札を渡しました。いつも、先輩は悪ふざけが大好きな先輩です。面白がって、札を見ています。「見とけよ、陰陽師」先輩はそう言うと、札を2つに破り捨ててしまいました。

「なにを、しているのですか」僕は慌てて、札を回収しましたが、直すことは出来そうにありません。先輩はケラケラと笑っています。僕はとりあえず、札を封筒に入れて元のあった場所に戻しました。

この後、特になにも起こらず、夜勤が無事に終える事が出来ました。
ですが、Kさんはあの夜以降、体調の状態が徐々に落ちてしまいました。1週間も立たない所で、看取り介護もしているので、そちらの1人部屋に移ってしまいました。

また、夜勤がやってきました。Kさんは、看取り室に移ってしまったので、2人介助にてオムツ交換などを行います。あれから、一切食事も食べていないので、身体は痩せ細り、喋る事を出来なくなっていました。力も全く入らない状態のKさんを見ていると、いきなり、目を見開き、僕の腕を強く握ってきました。

「おとうさん、、、じゃない」

Kさんは、今にも消えかかりそうな声で僕に言いました。そして、亡くなってしまいました。
僕の腕には暫く痣が残り、あの時言っていた、「おとうさんじゃない」という言葉が今でも耳に残っています。また、あの時、一緒に夜勤をして札を面白半分で破いてしまった先輩は、職場を辞めてしまいました。

あの後、知人から聞いた話しになりますが、先輩はてんかんという病気を発症してしまったり、うつ病などで、殆ど家の中で暮らしているそうです。
一度、外で見かけたそうなのですが、風貌もすっかりと変わってしまい、ボサボサの髪と服で裸足で歩きながら、ぶつぶつと何かを言っているそうです。
それが、お経の様に聞こえるらしい。

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